ここではリハビリテーションに関する情報を皆さまにお届けいたします。
みなさんは「リハビリする」と聞くと、きっとこんな写真の様な場面を思い浮かべるのではないのでしょうか。
一般的に、病気やケガで落ちた体力を回復するために行うもの、という認識だと思います。
もちろん、これは間違ってはいません。ですが、
「リハビリテーション」は病気やケガといった医学的な分野にとどまらず、職業訓練・社会復帰といった社会的な分野も含まれる広い意味も持っているのです。
まずはリハビリテーションの語源についてお話ししたいと思います。
リハビリテーションはrehabilitationと書き、
「re-」再び、「-habilis-」人間にふさわしい、
「-ation」状態にすること、となります。
つまり「人間が何らかの理由で,『人間にふさわしくない状態』に陥ったときに,再びそれにふさわしい状態にする(戻す)」となります。
ジャンヌ・ダルクは、14~15世紀の百年戦争(英仏戦争)で1431年の宗教裁判にて「異端」として破門の上、火あぶりの刑に処せられた。しかし最終的なフランス軍の勝利の後、再び宗教裁判が行われ、1456 年に無実の罪(異端)と破門が取り消された。この25 年後の「やり直し裁判」をフランスの歴史では「リハビリテーション裁判」(復権裁判)と呼ばれている。
さらに彼女は,5 世紀近く後の1920 年にローマ法王(教皇)によって「聖女」に列せられました。いったんは「異端者」として断罪されてしまいましたが「聖女」になったので、これ以上の「名誉回復」はない、と言えます。
ガリレオ・ガリレイは1634 年に,異端審問により地動説の取り消しを命じられたが,1965 年から審問の見直しが始まり,1992 年に法王ヨハネ・パウロ二世により約350 年前の審問が取り消され,法王はガリレオの墓に詣でて謝罪したといわれています。
参考文献:総合リハビリテーションを考える. 上田敏: The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine 59(11): 1131-1136, 2022.
歴史的にヨーロッパの中世では、宗教的背景から「身分・地位の回復」「破門の取り消し」の意味で使われていました。近代に入ると、さらに「名誉回復」「権利の回復(復権)」「無実の罪の取り消し」などの意味が加わりました。現代では、教育刑思想に立った「犯罪者の社会復帰」、いったん失脚した政治家の「政界復帰」などの意味も加わりました。さらに、人間以外についても使われ、災害後の「復興」、また「都市の再開発」などの意味で使われている。まさに広い意味の一般用語であり、このことからも決して医学分野だけではないということがわかります。
わたしたち理学療法士は、学生時代にリハビリテーションを学ぶ第一歩としてこれら語源や歴史について学びます。そしてリハビリテーションが治療だけを指すのではないということを知ります。
ですが、いざ患者さんの前になると「リハビリ頑張りましょう」なんて言ってしまいます。
これは、患者さんにとってはわかりやすく、モチベーションアップのために便宜上、使っています。
「リハビリテーションとは医学的、社会的、教育的、職業的手段を組み合わせ、かつ相互に調整して、訓練あるいは再訓練することによって、障害者の機 能的能力を可能な最高レベルに達せしめることである」
ここでもリハビリテーションは病院などで行われる、医学的な治療のみを指すのではなく、教育など他の分野での調整も含めた包括的なものとしています。
「リハビリテーション」は「再び、適した状態に戻す」といった意味であるとお話ししました。
では、脳性麻痺など、生まれながらにして障がいを持つ子どもに対して、「リハビリテーション」というのは正しいのでしょうか。
もともと生まれながらですので、「再び」ではないはずです。確かに身体の動かしにくさなどの障がいを持っていますが、その子ども自身にとっては、それが「当たり前」なのです。
ただ、日常生活をはじめ、通学や就業などの社会生活を送るなかで、より生活しやすい状態を目指すことはできるはずです。
もちろん体力をつけたり歩く練習をするだけでなく、車椅子でも通れるスロープを設置したり、脱ぎ着しやすい服装を工夫したり、食事がしやすいテーブルや食器を選んだりといった環境面へのアプローチも含まれます。
この場合、rehabilitationの re を除いた「habilitation:ハビリテーション」と
言い表すことがあります。
「再び」ではなく、「より」ふさわしい、適した状態になる、といったイメージです。
先ほど、障がいを持つ子どもについての(リ)ハビリテーションについてお話ししましたが、わが国のリハビリテーションの源流をたどると、肢体不自由児の療育(医療と教育を掛け合わせたことば)にたどり着きます。
1906年、田代義徳医師がドイツとオーストリアで整形外科を学んだ後、東京帝国大学整形外科学講座を開講します。これはわが国で最初の整形外科学講座でした。
この田代医師のもとで整形外科の助手として在籍していた高木憲次医師は、当時、学校にも行けずほとんど人前に出ることなく生活していた肢体不自由児・者のための施設「整肢療護園」(東京都板橋区)を設立し、ここで子どもたちに集団機能訓練を行わせるなど、「療育」を受けさせていました。
医学的な治療だけでなく、教育も受けさせるという考えは、まさにリハビリテーションの考えそのものですね。
そして1950年、児童福祉法に基づく肢体不自由児施設として、多摩緑成会整育園、群馬整肢療護園が設立されます。東京の整肢療護園も一度は第二次世界大戦の空襲でほとんど焼失してしまいましたが、1952年に再建されました。
またこれら施設では、若手のマッサージ師が後の理学療法となる治療体操などを、看護師や保母が作業療法を担うような形をとっており、草分け的な存在でした。
参考文献:日本におけるリハビリテーションの黎明期-療育を通して.高取吉雄:日本リハビリテーション医学会50周年記念誌.14-23.
1960年(昭和35年)、厚生白書にて医学的リハビリテーションが予防および治療とならぶ医療の重要部門として言及されました。
医療保険制度と公衆衛生対策との不均衡な発展を是正し、わが国の医療保障制度を さらに一段と推進するためには、公衆衛生対策がわが国社会の近代化のは(跛)行性を反映して広範多岐に わたらざるを得ないにせよ、その全般にわたつてこれを強化充実するとともに、医療費の保障制度の充 実と並行して総合的な見地から疾病の予防、治療およびリハビリテーシヨンを一貫する有機的な対策を 推進していくことが強く要請されるのである。
第一部 総論 第三章 厚生行政の展望 第三節 医療保険制度と公衆衛生活動(特に疾病予防対策)より抜粋
1963年(昭和38年)、日本リハビリテーション医学会創立・日本初の療法士養成校開校・日本初の大学病院におけるリハ診療部門の開設(東京大学病院リハ部)され、リハビリテーションの研究・教育・診療の3体制が整った、まさに現代的なリハビリテーションの誕生となりました。
リハビリテーションの専門職には、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士があります。
1963年(昭和38年)、日本初の理学療法士・作業療法士養成校として、国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院が東京清瀬市に開校しました(2008年閉校)。
1965年(昭和40年)に「理学療法士及び作業療法士法」が施行されました。
1966年 第1回 理学療法士・作業療法士国家試験が施行され、理学療法士183名、作業療法士20名が誕生しました。
同年、理学療法士協会、作業療法士協会が設立されました。
出典:作業療法士協会50年史
病気やケガ、手術後の回復、スポーツ外傷、赤ちゃんの発達支援、高齢者まで幅広く対応します。
救急救命センターなどの超急性期から、急性期~回復期~維持期~在宅までさまざまな施設で活躍しています。
起きる・座る・立つ・歩くといった基本的なものからスポーツなどハイレベルな動きに至るまで、人の動きを科学的に見ることができる専門職です。
災害が起きると平常時に行っていた活動、参加していた場所や機会が失われてしまいます。
高齢者や障がい者などの要配慮者は、避難生活において活動が低下し、不活発状態に陥ります。
容易に心身機能が低下し、生活不活発病を引き起こします。慢性疾患などの持病の悪化、新たな疾患を生じてしまうなど災害関連死となる可能性が高くなります。
災害リハビリテーションとは、「被災者・要配慮者等の生活不活発病および災害関連死を防ぐために、リハビリテーション医学・医療の視点から関連専門職が組織的に支援を展開する事で、被災者・要配慮者等の早期自立活動の再建、復興を支援する活動のすべてをいう」(2019年4月 JRAT)と定義されています。
日本医師会災害医療チーム(JMAT)とも連携して活動をしており、2018年熊本地震以降、JMATの枠組みの中で活動実績があります。
引用:一般社団法人 日本災害リハビリテーション支援協会 Webサイト 一般社団法人 日本災害リハビリテーション支援協会 (jrat.jp)
参考文献:これからの災害リハビリテーションのありかた. 栗原正紀 他:Jornal of clinical Rehabilitation vol3. No3. 2021.3 226,235,255.